不惑の年齢になり、気づいたときには、古典から生きるための知恵をいただきました。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 
 すべて形のあるものでは、大きいものは必ず小さいものから始まる。多いものは必ず少ないものから始まる。老子は、「天下の難事も必ずやさしい事から始まり、天下の大事も必ず小さい事から始まる」と言っている。それゆえ、物事を制圧しようとする者は、そのことが小さいうちにすべきだ。老子も、「難しいことは、それがやさしいうちによく考え、大きなことは、それが小さいうちにうまく処理する」と言っている。
 
 長さ千丈の堤防でさえ、蟻(あり)の小さな穴から決壊し、どんな大邸宅も煙突の火の粉から焼失してしまう。だから、治水の功労者・白圭(はくけい)が堤を見てまわるときは、その小さな穴をふさぎ、経験豊かな老人が火元を確かめるときは、煙突の割れ目を修理する。それゆえ、白圭が見たあとの堤には洪水の心配がなく、老人が点検したあとの家では火事の心配がない。これらはいずれも、やさしいことを慎重に行って大きな災いを招くのを回避し、小さいことを慎重に扱って重大な事態をひき起こさないというものである。
 
 名医の扁鵲(へんじゃく)が、蔡(さい)の桓候(かんこう)に拝謁した。立ったままでしばらくすると、扁鵲はこう言った。「わが君には肌理(はだすじ)に病気があります。早く治療なさいませんと根が深くなりましょう」。桓候は「私には病気はない」と言って取り合わなかった。そして、扁鵲が退出すると、桓候は「医者というものは病気でもない者を治療して手柄顔をするものだ」と言った。
 
 それから十日たって、扁鵲がまた拝謁すると、「わが君の病気は皮膚に達しました。早く治療をなさいませんと根はいっそう深くなりましょう」と言った。桓候は返事をしなかった。扁鵲が退出すると、えらく不機嫌だった。それからまた十日たって、扁鵲がまた拝謁すると、「わが君の病気は胃腸にまで達しています。治療なさいませんと、根はますます深くなりましょう」と言った。桓候はまた返事をしなかった。扁鵲が退出すると、また不機嫌だった。
 
 また十日たつと、扁鵲は桓候の姿を遠くから見ただけで、向きを変えて逃げてしまった。桓候が人をやって尋ねさせると、扁鵲はこう言った。「病根が肌理にあるうちは、お湯の湿布で治せます。皮膚になると鍼(はり)で治せます。胃腸の場合は煎(せん)じ薬で治せます。しかし、骨髄にまで達すると、もはや手の打ちようがありません。わが君の病根は、すでに骨髄に達しています。ですから、私は何も申し上げませんでした」。それから五日後、桓候の体が痛み出した。人をやって扁鵲を呼ぼうとしたが、彼はすでに外国に逃亡していた。桓候はこうして死んだ。

テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

 
(一)
 賢明な君主が臣下を御するための拠り所は、二つの柄(え)にほかならない。二つの柄とは、刑と徳とである。厳格な刑と、誉めて賞をあたえることである。君主自身がその権限を行使すれば、臣下たちは刑罰の威力を恐れて褒賞を得ようと向かう。ところが、邪悪な臣下は、自分の嫌いな者がいると、君主の刑罰権をうまくかすめ取ってその者を罰し、自分の気に入った者がいると、君主の褒賞の権利をうまく手に入れてその者を賞する。また、君主がその権利を一人で行使できず、その臣下と相談しながら賞罰を行っていれば、国じゅうの人々はみなその臣下を恐れて君主をないがしろにし、人心もその臣下に集まり、君主から離れてしまうだろう。君主がこれらの権限を失うと、たいへんな弊害が起こる。
 
 斉(せい)の田常(でんじょう)は、君主の簡公(かんこう)に爵位や俸禄をねだって手に入れ、それを多くの家臣に分け与え、民衆には大きな桝目(ますめ)で貸し出したのを小さな桝目で返させ、私的に恩恵を施した。これは簡公が徳を施す権限を田常に移譲したことにほかならず、そのために簡公はついには田常に殺されたのである。
 
 また、宋(そう)の子罕(しかん)は、宋の君主にこう話を持ちかけた。「いったい褒賞や賜与というものは、民の喜ぶものですから、王様ご自身がそれを与えてやってください。しかし、刑罰は民の嫌がるものですから、どうかそれは私にお任せください」。こうして刑罰権は宋の君主から子罕に移譲され、そのために宋の君主はついには子罕に脅迫されたのである。
 
 田常はただ徳の柄を手に入れて行使しただけで、簡公は殺される結果となり、子罕はただ刑の柄を手に入れて行使しただけなのに、宋の君主は脅迫される結果となった。今の時代の人臣は、これら二つの柄を手中にして自由に行使しているのだから、世の君主の危険は、簡公や宋の君主のときよりさらにひどくなっている。このようなありさまで、身を危うくし国を滅ぼす結果にならなかった君主は、これまであったためしがない。
 
(ニ)
 君主が臣下の悪事を止めたいと思うならば、臣下の実績と言葉を突き合わせてよく調べなければならない。君主は、臣下の意見にしたがってそれに見合う仕事を与え、もっぱらそれに応じた実績を求める。そして、実績がそれに見合い、先に述べたとおりの内容であれば賞を与えるが、そうでなければ罰する。
 
 ここで注意しなければならないのは、大きなことを言いながら実際の業績が小さかった者を罰するのは、業績があがらないことを罰するのではない。実際の業績が言葉と一致しなかったことを罰するのだ。また、言うことが小さいのに実際の業績が大きかった者も罰するが、これは大きな業績が好ましくないというわけではない。言葉と実際の業績が一致しないという害のほうが、大きな業績よりも重大だと考えるからだ。
 
 昔、韓の昭候が酒に酔ってうたた寝をしたことがあった。冠(かんむり)係の役人は、主君が寒かろうと思って、衣を主君の体の上に着せかけた。昭候は目覚めると、それを嬉しく思って、傍の近臣にたずねた。「誰がこの衣を着せかけてくれたのか?」。近臣は、「冠係の役人でございます」と答えた。すると、昭候は、衣服係の役人と冠係の役人とを共に処罰した。衣服係の役人を罰したのは、その仕事を怠ったからだが、冠係の役人を罰したのは、その職務を超えて余計なことをしたと考えたからだ。寒さは厭うものの、他人の職分にまで手を出すという害のほうが、寒いことより重大だと考えたのだ。
 
 賢明な君主であれば、臣下の言葉と仕事が一致しないのを許さず、職分を超えて業績をあげることも許さない。それぞれに職分を守らせ、言葉どおりの仕事を行わせるならば、臣下たちは私的に徒党を組んで助け合うこともしない。
 
(三)
 君主が臣下を任用する際、二つの心配事がある。一つは、賢者を選んでそれに任せると、臣下はその賢者を利用して君主を脅かそうとする。二つ目は、それならというので能力に関係なく登用すれば、仕事が渋滞してどうしようもなくなる。
 
 君主が賢人を好むと、臣下たちは自分の行為を立派に取り繕い主君の望みに合わせようとし、そうなると臣下たちの実情がはっきりしなくなる。たとえば、越(えつ)王が武勇を好んだために、死をものともしない民が増え、楚(そ)の霊王が腰の細い美人を好んだために、都では痩せようとして腹をすかせた女が増えた。斉(せい)の桓公(かんこう)は後宮に通い詰めの色好みだったから、臣下のある男は自分で去勢して後宮に入り込み、その取締りとなった。桓公はまた珍味を好んだので、臣下のある男は自分の子供の頭を蒸してそれを献上した。
 
 このように、君主が自分の好きなことを外に見せると、臣下たちはそれにあわせてありもしない才能があるように見せかける。君主がその欲望を外に表すと、彼らはその手がかりを得たことになる。そして、それによって君主の権力を侵害したり、君主の位を奪ったりしたのである。斉の桓公などは殺されて、蛆虫(うじむし)がわくまで死体を放置された。君主が自分の実情をさらけ出す害は極めて大きいのだ。

テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

 上古の世は、人間は少なくて鳥獣が多かった。そして、人間は鳥獣らに勝てなかった。そこに一人の聖人があらわれて、木を組み合わせて住居を作り、危害を避けられるようにした。大いに喜んだ人々は彼を世界の王者として頂いた。また人々は、草木の実や貝類を食べたが、生臭くて胃腸をこわすものが多かった。そこに一人の聖人があらわれて、木をこすって火を起こし、その火で生ものを調理した。大いに喜んだ人々は彼を世界の王者として頂いた。
 
 中古の世になると、あちこちでしきりに洪水が起こったので、鯀(こん)と禹(う)とは河川を切り開いて治水に成功した。近古の世には、夏(か)の桀(けつ)や殷(いん)の紂(ちゅう)が暴政を行ったので、殷の湯王と周の武王とは彼らを征伐した。
 
 かりに中古の夏王朝の時代に、木を組み合わせて住居を作ったり木をこすって火を起こしたりする者がいたなら、きっと鯀や禹に笑いものにされただろう。また近古の殷や周の時代に、河川を切り開く者がいたなら、きっと湯王や武王に笑いものにされただろう。そうしてみると、いま湯王や武王たちの道を、今の時代にも通用するとして賛美する者がいるとしたら、きっと新しい聖人たちに笑いものにされるだろう。それゆえ、聖人は古いことなら何でもよいなどとは考えず、永久不変の規準などというものにも従わない。その時代の事情をよく考えて、それに見合った対策を打ち出す。
 
 宋の国の人で畑を耕している者がいた。畑の中に切り株があり、たまたま兎(うさぎ)が走ってきてその切り株にぶつかり、首を折って死んだ。兎を手に入れた彼は、それから畑仕事をやめてしまい、切り株のそばで兎がやってくるのを待ち続けた。もちろん兎は二度とは得られず、彼は国じゅうの笑いものにされた。いま古代の聖王の政治にならって現代の民を治めようとするのは、すべてこの切り株のそばを離れずにいるのと同類だ。

テーマ:政治家 - ジャンル:政治・経済

(一)
 法は、高い身分の人でもへつらうことはない。法が適用されたとなれば、どれほどの知恵者でも言い訳をすることができず、どんな勇者でも立ち向かうことはできない。過ちを罰するのは重臣であっても例外でなく、善行を称するのは庶民であっても同じだ。
 
 そこで、上に立つ者の過失を正し、下々の邪悪を責め、もつれやからまりを解き、出すぎたものを退けて間違いを整え、人民の守るべき道を統一するためには、法に勝るものはない。官吏を励まし人民を威圧し、不届き者を廃して詐偽をやめさせるには、刑罰に勝るものはない。刑罰が厳重であれば、高い身分の者も低い身分の者を侮ることがなく、法が明確であれば上の者の尊厳が貶められることはない。君主が法を捨てて私情に任せるようになれば、上下の区別はなくなってしまう。
 
(ニ)
 殷(いん)の法律では、街路に灰を捨てた者を処刑した。子貢(しこう)は厳しすぎると考えて、それを仲尼(ちゅうじ)に問うた。仲尼は答えた。「人の治め方をよく心得たものだ。そもそも街路に灰を捨てれば必ず人にふりかかる。灰をかけられた人は怒り、人が怒ると争いになり、争いになれば必ず父母・兄弟・妻子をあげての殺傷沙汰になる。つまりは家門一統を損なうことになる仕業だ。だから、灰を捨てるのを処刑するのはもっともなことだ。それに、重い罰は誰もが嫌がるものだが、灰を捨てないようにするのは誰にも簡単にできる。誰にも簡単にできることを行わせて、それで嫌な目にあわないようにさせるのは、これこそ人をうまく治める方法だ」。
 
(三)
 公孫鞅(こうそんおう)の法では、軽い罪をわざと重くしている。重い罪というものは、誰もが簡単には犯さないものであり、小さい過ちというものは、誰もが犯しやすい。人々に、その犯しやすいものを無くさせて、犯しにくい重罪にはひっかからないようにさせるのが、人をうまく治めるやり方である。公孫鞅は言っている。「刑罰を行うには、その軽い罪を重く罰すると、軽いものも起こらず、重いものも出てこない。これこそが、『刑によって刑を去る』ということだ」
 
(四)
 そもそも、世の愚かな学者たちこそが、治乱の実情も分からずに、口やかましくしゃべって大昔の書物ばかりさかんに読み、今日の政治を乱している元凶だ。思慮が足らないのに、法術をわきまえた士人をやみくもに非難する。彼らの意見を聞き入れた者は危険となり、彼らの考えを採用した者は乱れることになる。これこそ最大の愚行であり、最悪の災害である。彼らは、弁舌だけは法術をわきまえた士人たちと対等にわたりあえるが、実際は大違いだ。
 
 そして、聖人ともなると、是非の実際に詳しく治乱の実情をよく見通している。聖人は、明確な法を定めて厳しい刑罰を設け、それによって万民の混乱を防ぎ天下の災いを除こうとする。その結果、強い者が弱い者いじめをせず、大勢が小勢に乱暴せず、老人は安楽に長生きし、幼い孤児も無事に成長し、辺境は侵害されず、君と臣が親しみあい、親と子が支えあって、争いごとで命を失ったり捕われたりする心配もなくなる。これこそ、最高の功績というものだ。ところが、愚かな人にはそれが分からず、反対にこれを暴政だといって非難する。
 
 厳刑重罰は民衆の誰もが嫌うが、しかし国家はそれによってよく治まる。万民をあわれんで刑罰を緩やかにするというのは、民衆の大いに歓迎するところであるが、しかし国家はそれによって危険になる。だから聖人が法を行う場合は、必ず世俗の動向に逆らって根本の道理に従う。それが分かる人は正義(法術)に賛同して世俗に反対するが、それが分からない人は正義に背いて世俗に同調する。世界にそれが分かる人は少ない。だから正義が非難される。
 
(五)
 政治をよく知らない者は、みなこう言う。「刑罰を重くすれば民を傷つけるだけだ。刑罰が軽くても悪事は防げるのに、どうして重くする必要があるのか」。これは政治をよく考えていない言葉だ。そもそも、刑が重ければ悪事をやめる者は、刑が軽いからといって必ずしも悪事をやめないものだが、刑が軽くても悪事をやめる者は、重いときは必ずやめる。
 
 そこで、お上が重い刑を設けると、それにつれて悪事はことごとく無くなる。悪事がことごとく無くなれば、それで民を傷つけることにはならない。重い刑とは、悪人が得た利益よりお上が科す罰のほうが大きいものをいう。民衆は小さな利益のために大きな罪をかぶるようなことはしないから、そこで悪事は必ず止まる。軽い刑とは、悪人が得た利益よりお上が科す罰のほうが小さいものをいう。民衆はその利益を慕って罪を侮るから、そこで悪事は止まらなくなる。
 
 昔の聖人の言葉にも、「山につまずかずして、蟻(あり)づかにつまずく」というのがある。大きな山には用心するが、小さな蟻づかは侮るからつまずくという意味だ。今、もし刑罰を軽くすれば、それは民衆にたいして蟻づかを作ることになる。罪を犯してもそれを罰しなければ、結局は国じゅうの人々を追いやって見捨てることになる。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

 道とは万物の起こる始めであり、是非の定まる規準である。そのため明君であれば、その始めを守ることによって万物の始原を知り、その規準を治めることによって成功と失敗の兆しを知る。そこで虚心の静けさに身をおき、じっと待つ。虚心だから周囲のほんとうの情況が分かり、静かだから周囲の動きの中心となる。
 
 意見のある者は自ら進んで言論を述べ、仕事をしようとする者は自ら進んで実績を示すようになるから、君主としてはその実績と言論をつき合わせて符合するかどうかを調べることにすれば、格別なことをする必要はなく、その実情に任せていける。
 
 であるから、「君主は自分の望みを外に出してはいけない。君主が自分の望みを人に知らせると、臣下はきっとそれに合わせて自分を飾り立てるだろう。君主は自分の意向を外に出してはいけない。君主が自分の意向を人に知らせると、臣下はきっとそれに合わせて表だけを見せるようになるだろう」と言われる。また、「君主が好き嫌いを外に出さないでいると、臣下はありのままを表し、君主が知恵の働きを外に出さないでいると、臣下は慎重にふるまうようになる」とも言われる。
 
 そこで、明君は、知恵があってもそれによって思慮をめぐらさず、ありのままをわきまえて落ち着こうとする。すぐれた才能があってもそれによって自ら仕事をせず、臣下に働かせてその拠り所を観察する。勇気があっても自ら奮い立とうとはせず、臣下にその武勇を尽くさせる。それ故、明君は知恵を捨てることでかえって明知を得、すぐれた才能を捨てることでかえって功績があがり、勇気を捨てることでかえって強さが得られるのだ。
 
 明君とは、ひっそりと静まりかえり、がらんとした空壺(からつぼ)のようであり、その居場所も分からないほどだという。明君が上にいて何もしないでいると、臣下たちは君主の心をはかりかねて懼(おそ)れおののく。明君のやり方は、知恵者たちに知恵を出し尽くさせ、それをふまえて仕事を任せていくから、君主としての才能に行き詰まることがない。そして、功績があがれば君主が優秀だからだとし、失敗すれば臣下の責任だとするから、君主としての名誉に行き詰まることがない。このようなわけで、君主は賢者でなくても賢者たちの先生となり、知者でなくても知者たちの中心となれるのだ。臣下は苦労を引き受け、君主は成果を我が物とする。これがすぐれた君主の常法である。

テーマ:政治家 - ジャンル:政治・経済

// HOME //  NEXT
FC2ブログ
Powered By FC2ブログ. copyright © 2005 古典から古の教えを学ぶ all rights reserved.