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(一) 法は、高い身分の人でもへつらうことはない。法が適用されたとなれば、どれほどの知恵者でも言い訳をすることができず、どんな勇者でも立ち向かうことはできない。過ちを罰するのは重臣であっても例外でなく、善行を称するのは庶民であっても同じだ。 そこで、上に立つ者の過失を正し、下々の邪悪を責め、もつれやからまりを解き、出すぎたものを退けて間違いを整え、人民の守るべき道を統一するためには、法に勝るものはない。官吏を励まし人民を威圧し、不届き者を廃して詐偽をやめさせるには、刑罰に勝るものはない。刑罰が厳重であれば、高い身分の者も低い身分の者を侮ることがなく、法が明確であれば上の者の尊厳が貶められることはない。君主が法を捨てて私情に任せるようになれば、上下の区別はなくなってしまう。 (ニ) 殷(いん)の法律では、街路に灰を捨てた者を処刑した。子貢(しこう)は厳しすぎると考えて、それを仲尼(ちゅうじ)に問うた。仲尼は答えた。「人の治め方をよく心得たものだ。そもそも街路に灰を捨てれば必ず人にふりかかる。灰をかけられた人は怒り、人が怒ると争いになり、争いになれば必ず父母・兄弟・妻子をあげての殺傷沙汰になる。つまりは家門一統を損なうことになる仕業だ。だから、灰を捨てるのを処刑するのはもっともなことだ。それに、重い罰は誰もが嫌がるものだが、灰を捨てないようにするのは誰にも簡単にできる。誰にも簡単にできることを行わせて、それで嫌な目にあわないようにさせるのは、これこそ人をうまく治める方法だ」。 (三) 公孫鞅(こうそんおう)の法では、軽い罪をわざと重くしている。重い罪というものは、誰もが簡単には犯さないものであり、小さい過ちというものは、誰もが犯しやすい。人々に、その犯しやすいものを無くさせて、犯しにくい重罪にはひっかからないようにさせるのが、人をうまく治めるやり方である。公孫鞅は言っている。「刑罰を行うには、その軽い罪を重く罰すると、軽いものも起こらず、重いものも出てこない。これこそが、『刑によって刑を去る』ということだ」 (四) そもそも、世の愚かな学者たちこそが、治乱の実情も分からずに、口やかましくしゃべって大昔の書物ばかりさかんに読み、今日の政治を乱している元凶だ。思慮が足らないのに、法術をわきまえた士人をやみくもに非難する。彼らの意見を聞き入れた者は危険となり、彼らの考えを採用した者は乱れることになる。これこそ最大の愚行であり、最悪の災害である。彼らは、弁舌だけは法術をわきまえた士人たちと対等にわたりあえるが、実際は大違いだ。 そして、聖人ともなると、是非の実際に詳しく治乱の実情をよく見通している。聖人は、明確な法を定めて厳しい刑罰を設け、それによって万民の混乱を防ぎ天下の災いを除こうとする。その結果、強い者が弱い者いじめをせず、大勢が小勢に乱暴せず、老人は安楽に長生きし、幼い孤児も無事に成長し、辺境は侵害されず、君と臣が親しみあい、親と子が支えあって、争いごとで命を失ったり捕われたりする心配もなくなる。これこそ、最高の功績というものだ。ところが、愚かな人にはそれが分からず、反対にこれを暴政だといって非難する。 厳刑重罰は民衆の誰もが嫌うが、しかし国家はそれによってよく治まる。万民をあわれんで刑罰を緩やかにするというのは、民衆の大いに歓迎するところであるが、しかし国家はそれによって危険になる。だから聖人が法を行う場合は、必ず世俗の動向に逆らって根本の道理に従う。それが分かる人は正義(法術)に賛同して世俗に反対するが、それが分からない人は正義に背いて世俗に同調する。世界にそれが分かる人は少ない。だから正義が非難される。 (五) 政治をよく知らない者は、みなこう言う。「刑罰を重くすれば民を傷つけるだけだ。刑罰が軽くても悪事は防げるのに、どうして重くする必要があるのか」。これは政治をよく考えていない言葉だ。そもそも、刑が重ければ悪事をやめる者は、刑が軽いからといって必ずしも悪事をやめないものだが、刑が軽くても悪事をやめる者は、重いときは必ずやめる。 そこで、お上が重い刑を設けると、それにつれて悪事はことごとく無くなる。悪事がことごとく無くなれば、それで民を傷つけることにはならない。重い刑とは、悪人が得た利益よりお上が科す罰のほうが大きいものをいう。民衆は小さな利益のために大きな罪をかぶるようなことはしないから、そこで悪事は必ず止まる。軽い刑とは、悪人が得た利益よりお上が科す罰のほうが小さいものをいう。民衆はその利益を慕って罪を侮るから、そこで悪事は止まらなくなる。 昔の聖人の言葉にも、「山につまずかずして、蟻(あり)づかにつまずく」というのがある。大きな山には用心するが、小さな蟻づかは侮るからつまずくという意味だ。今、もし刑罰を軽くすれば、それは民衆にたいして蟻づかを作ることになる。罪を犯してもそれを罰しなければ、結局は国じゅうの人々を追いやって見捨てることになる。
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